神学論争に当たっての基本的な原則 日時: 2006/06/06 07:47 名前: 海 真理探究の原理・方法論を研究した人にエドムンド・フッサールと言う人が居ます。 私は彼の主張を正確にを理解しているとはいえませんが、我々の知識の正当性を基礎付けるのは、コギトエルゴスム我々の経験であると言うようなことを言っているのだと思います。しかし経験と言うのはそもそもがそれぞれの主観によって色取られたものであり、キリスト者であればキリスト教的世界を生きているし、無神論者であれば無神論的前提に従って生きているわけです。 まずそれらの信念を『』で括り、「純粋経験」に立ち戻り、個人個人の意識(間主観性)をよりどころに、真理を探究していこうというスタンスだと思います。 このスレはあくまで真理探究が目的で、真理探究の方法論の探求ではありません。 つまりフッサールの哲学を研究する場では在りません。彼の哲学(現象学)を利用できるならば利用して現実的で理性的な「神学」(形而上学)を構築して見ようと言う趣旨で立てられたものです。 志のある方の参加を求めます。 Page: 1 | Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.1 ) 日時: 2006/06/06 08:12 名前: αΩ(Tranquillity) つまり、フッサールさんの意見も考慮に入れた上でキリスト教神学を探求する場、ということでよろしいですか? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.2 ) 日時: 2006/06/06 08:39 名前: 海 いや、キリスト教を含めたあらゆる常識を検討する場になるでしょう。 神が居るという信念も神が居ないという信念も疑わしいものは全て疑って見ると言うのが真理探究の前提となります。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.3 ) 日時: 2006/06/06 09:44 名前: αΩ(Tranquillity) だとしたら「神学」ではありませんね。 神学は神の存在と、信仰の保持は前提ですので。 多分、「哲学全般」じゃないですかね? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.4 ) 日時: 2006/06/06 16:38 名前: αΩ(Tranquillity) 早く返信をして早く意見交換をしたいので、HSさんのゲストブックでの海さんへの返信をここでしたいと思います。 あながち「真理探究」に無関係では有りませんし。 >神は人間を特別視しているわけではないですよ。 虐殺しているのは人間だけではありません。他の生命もそうです。 〜〜以下省略〜〜 の一連ですが、おそらく言葉の解釈に誤解があった(というより、私の書き方が悪かった?)と思います。 私は「他との違いは構成成分だけ」と書き、海さんは「他」を他の生物と解釈したようですが、私の言いたかった「他」とは生物に限らず「人間以外の物質の塊全般」です。 つまり、サルと、ゴキブリと、鍾乳石と、フロンガスと、異常プリオンと、酸素分子と、火星と、太陽系と、銀河と、銀河団と、4次元世界全体と、その他考え得る全ての物質の塊と人間を、何故神は区別して考えていると決め付けるのか?(虐殺であれ、繁栄であれ) それは、人間という塊が考えた「特別でありたい」という思いからの決め付けに過ぎないのではないか? ・・・ということです。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.5 ) 日時: 2006/06/06 22:54 名前: 海 神はサルもゴキブリも異常プリオンも火星も太陽系も人間も区別なしに愛していると思うよ。 何故ならそれは現に今、存在しているから。 神はお気に召さないものをすぐ消してしまう。 同時に人間が気に入らなくなったら消してしまうかもしれないけどね。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.6 ) 日時: 2006/06/07 08:43 名前: αΩ(Tranquillity) >何故ならそれは現に今、存在しているから。 >神はお気に召さないものをすぐ消してしまう。 この部分は、確かめようが無いため"何とでも言える"領域です。 存在している=愛されている、という定義でしたらその「愛されている」という言葉にどれほどの意味があるのですか? 「区別していない」と、「区別していて全てを愛している」ということにどれほどの違いがあるのですか? 「お気に召さないものを消してしまう」ことと、「ランダムに消してしまうこと」にどれほどの違いがあるのですか? 愛している、という言葉は愛していないものとの対応の違い有ってこそ成り立つ言葉です。 「全てを等しく愛している」としたら、そのとき神は何もしないのではありませんか? 全部、あなたの私見ではありませんか? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.7 ) 日時: 2006/06/07 08:44 名前: αΩ(Tranquillity) 続きです。 あと、また私の書き方が悪かった部分があったようです。 「区別している」の捉え方ですが、私は「種類として区別している」という意味で使いましたが、海さんは「対応を区別している」と捉えてしまったようです。 つまり私が言いたかったのは、何故人間という元素の移動だけを特別視していると考えるのか?という疑問です。 無限大の前で、人間が地球のどこに移動しようと電子が原子の周りを回転しているくらいにしか考える必要は無いのではないか? 人間一人死のうと、千人死のうと、地球がばらばらになろうと、原子核が崩壊下くらいにしか考える必要は無いのではないか? 今でもフロンはオゾンを破壊して、どこか遠くで中性子星がブラックホールになって、ゴキブリが共食いをして、太陽が生まれて、鍾乳石が成長して、人間が死んでいるかもしれないが、神という無限の前でなぜ人間の行動という取るに足らないことを特別視していると考える必要があるのか? それは、人間という塊が考えた「特別でありたい」という思いからの決め付けに過ぎないのではないか? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.8 ) 日時: 2006/06/07 16:25 名前: 海 もちろん私の私見ですよ。私が「そう思う」というだけの話。貴方の考えも貴方の私見ではないですか? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.9 ) 日時: 2006/06/07 16:51 名前: 海 神にとって人間は「とるにたらないもの」だと思います。一方人間にとって神は特別な存在です。 また、神にとって人間が基本的には取るに足らないものだとしても、この宇宙空間の中でももっとも興味関心を引く存在なのではないでしょうか。 神は銀河系よりも太陽系よりも鍾乳洞よりも「人間界」をもっとも評価し、楽しんでいるような気がします。神が鍾乳洞の成長をじっと観察しているのが趣味だとしたら、何も生命や人間を作る必要は無かっただろう。 それでは満足しない、飽き足りないがゆえに、態々生命を作り、人間を作った。 どうです?そんな気がしませんか? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.10 ) 日時: 2006/06/07 18:36 名前: αΩ(Tranquillity) 神が、人間を観察するのが趣味なら、鍾乳石やゴキブリやオゾンを作る必要は無いのではありませんか? たとえば、人間を観察するためにゴキブリやオゾンが必要だというのなら、鍾乳石を観察するのに人間やその他が必要だったということも出来るはずです。 そう言わないのは何故ですか? 海さんは「生命」というものを、鍾乳洞と明らかに違う特別なものと判断しているようですが(そうでなかったらすいません) そもそも我々が、「生命」と呼ぶものと「非生命」と呼ぶもののどこが違うのですか? それは、人間が勝手に作った区切りではないですか? 鍾乳洞をじっと眺めることと、人間をじっと眺めることの一体どこが違うのですか? 人間という塊が神の興味・関心を引く存在だという根拠はなんですか? それは、人間という塊が考えた「特別でありたい」という思いからの決め付けに過ぎないのではないか?(たびたびコピペ) 私見=「神が居るという信念も神が居ないという信念も疑わしいものは全て疑って見るという精神、に反するような、主観的な意見」 だと思っていましたが、調べてみたら 私見=「自分ひとりの意見」 でした。碌に調べもせずに印象で使ってしまってすいません。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.11 ) 日時: 2006/06/07 19:12 名前: 海 私も鍾乳洞と人間の成分が中性子だの陽子と言った物質に還元できると言う意見に同意するのにやぶさかではないよ。 しかしだからといって、”鍾乳洞も人間も価値的に等価であるべきだ”と言う観念を信じたりはしないだろう。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.12 ) 日時: 2006/06/07 19:30 名前: 海 神は鍾乳洞を作り、オゾンを作り、太陽を作り、ゴキブリを作り、人間を作り「善し」とされた。というのが「事実」です。 そして、人間よ、埋めよ栄えよ地に満ちよとばかりにいたるところが人間の独占物に成っているのも事実。何故ゴキブリ始め、他の何のために存在しているか分からないような生命が存在しているかと言うと、案外、既存の人類がおきに召さなくなった場合、これらを滅ぼして、ゴキブリを進化させて地球上を支配させるつもりだからなのかもしれない。 実際、科学者の言うことを信じると、恐竜の足元をチョロチョロ走り回っていたネズミのような生物がその後人類に進化したと言う話だしね。ありえることだと思う。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.13 ) 日時: 2006/06/07 22:52 名前: αΩ(Tranquillity)◆toY.cJFRz.s 自分、もっと的確に物事を書けるようになりたいとしみじみ思います。 >私も鍾乳洞と人間の成分が中性子だの陽子と言った物質に還元できると言う意見に同意するのにやぶさかではないよ。 私が言っているのは「二つとも根源的に、同じ物質に還元できるから等価」ということでは全くありません。  たとえば、細かな動きのルール(重力、核力、電磁気力など)はありますが、単純化するために世界の元素の動きをビリヤードの球の動きと考えてみてください。 ビリヤード台はものすごく広く、用意された球もものすごく多い。 何かの"原因"で、球が台の上に乗せられ、動かされたとします。 この"原因"こそ、我々が"神"と呼ぶものです。<議論が脇道に逸れるため、この前後一行くらいはひとまず"前提"だと思っておいてください> 球は細かなルールも伴って様々な動きをします。 あるとき、様々な要因が重なり合って数個の球が或る範囲内をぐるぐる回ってしまう現象("循環"とよぶ)がおきました。 これは永遠に続くわけではなく何回か繰り返すうちに、台自体にも変化が起きて球はその循環を抜け、あるいは循環自体が起きなくなります。  "循環"は台のいたるところで起きているとします。  この"循環"が、我々が生命と呼ぶものであり、オゾンであり、鍾乳石であり、チワワであり、太陽系であり、銀河であり、ゴキブリです。 ある"循環"の中に特定の球が入ってくれば、循環自体が規模を広げたり、循環が起きなくなったり、循環内の球が循環の外に出たりします。 あるいは、一定数の球が出入りすれば自然に"循環"が機能しなくなったりします。 また、たくさんの"循環"が集まってさらに大きな循環を作る事もありました。 (分子の"循環"の集まり→生物としての"循環"の集まり→星としての"循環"の集まり→銀河としての・・・→・・・→・・・・・・) その中に、人間個人の循環、人間社会での循環がありました。 ここが私の言いたいところです。つまり、 「どれも"循環"である。では何故『人間の"循環"』を特別視する必要があるのか?」 それは人間の『特別でありたい』という主観からくる根拠の無い決め付けでは無いのか? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.14 ) 日時: 2006/06/07 22:55 名前: αΩ(Tranquillity)◆toY.cJFRz.s >しかしだからといって、”鍾乳洞も人間も価値的に等価であるべきだ”と言う観念を信じたりはしないだろう。 価値、という言葉を用いられましたが価値というのは相対的なものです。 たとえば、同じ1万円札という物体でも、ヤギと、発展途上国の子供と、アラブの石油王と、私とでは「価値」が圧倒的に違います。 同じ事で、鍾乳洞と人間の価値は地球に生活する、人間の自分には違うかもしれません。鍾乳石と話せませんし、子供は作れませんし、破壊しても苦しくないでしょう。 しかし、世界の全てを創造した"原因"にとってはすべては同じ"循環"(前述)では無いでしょうか? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.15 ) 日時: 2006/06/07 22:59 名前: αΩ(Tranquillity)◆toY.cJFRz.s >神は鍾乳洞を作り、オゾンを作り、太陽を作り、ゴキブリを作り、人間を作り「善し」とされた。というのが「事実」です。 >〜〜〜〜(以下省略)〜〜〜〜 それは客観的事実ですか?いわゆる、「思い込み」と「こうであってほしい」という希望ではないですか? 「神が居るという信念も神が居ないという信念も疑わしいものは全て疑って見る」のではないのですか? 海さんは「無神論が真理ならば無神論でもいいのです。こだわらないようにしている。」のではないですか? それともよくある、「聖書に書いてあるから無条件に正しい(疑うことは自体が間違いだ)」という主張ですか? Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.16 ) 日時: 2006/06/08 08:33 名前: 海 思い込みじゃないですよ。 神がゴキブリを創って「善し」とされているのは肉眼で観察される事実です。 2+2は4であるくらい、普遍妥当する真理じゃないですか? 違いますか? どうしても「神が」と言う言い方、考え方に拒否反応が起こるのであれば。「ゴキブリが在る」とだけ言いますけれども、それまでは否定できないでしょう。 という訳で、あくまで存在だけを問題に議論していきますか。 もうここまで来ると無神論と有神論の垣根はなくなってしまいます。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.17 ) 日時: 2006/06/08 08:42 名前: αΩ(Tranquillity)◆toY.cJFRz.s 2+2=4ですし、ゴキブリは在ります。それは否定しません。 しかし、「在る」ということを根拠に「神がそれを『善し』とした」と「決め付ける」事は正しくありません。 なぜなら、それは「存在するものは、神が『善し』とした」という前提の下での議論だからです。 そして、その前提が正しい根拠は無いからです。 たぶん「存在するからこそ」→「善しとした」    「善しとしたからこそ」→「存在する」 という循環論法だとおもいますが、どちらもお互いを根拠としているため「正しい」証明にはなりません。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.18 ) 日時: 2006/06/08 08:43 名前: αΩ(Tranquillity)◆toY.cJFRz.s ちなみに、今日は中間テストなので返信は最速9:50〜10:05くらいです。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.19 ) 日時: 2006/06/08 09:07 名前: 海 つまり・・世界のありとあらゆる出来事がそうであるように、人間存在も突き詰めれば物的「現象」であると言う指摘ですよね。 間違いなくその通りだと思いますよ。 人間をビリヤードの玉だと考えれば、社会なんてのも人間と言う元素によって構成されている一種の現象ですよね。 そして人間と言う元素をもとにビリヤードをして遊んでいるのが神であると。 管理人さんと私がこうやって議論しているのも、偶然ではなく、神が狙ってぶつけたのかもしれませんね。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.20 ) 日時: 2006/06/08 11:57 名前: αΩ(Tranquillity)◆toY.cJFRz.s 厳密にいえば、神が遊びで球をぶつけ始めたのか、間違って動かしてしまったのか、ぶつけた事すら意識せずに我々が呼吸するのと同じような感覚でぶつけてしまったのか、 それらのどれであるかは確かめようが無いし、神が人間を中心として遊んでいる、とする根拠も無いんし、人間という循環に好意的である、あるいは人間循環を見ているとする根拠も無いんですけどね。 ちなみに、「偶然」という言葉ですが、現象が球の動きだと仮定すると「偶然という概念は、私たちの知識の不足から来るものでしかない」ということになります。 ところで、これは海さんが理解してくれた、と捉えてもよろしいのでしょうか?だとすれば、このスレ停止しようと思うのですが。 それはそれで寂しい気がするのですが・・・。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.21 ) 日時: 2006/06/08 14:12 名前: 海 管理人さんがご自分の考えに満足されたのであればそれで結構ですよ。 ちなみに私はこれから仕事なのでレスが付けられるとしたら明日の朝以降になります。 試験頑張ってくださいね。^^ Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.22 ) 日時: 2006/06/09 14:21 名前: αΩ(Tranquillity)◆toY.cJFRz.s 満足されたのであれば、との事ですが、私の満足の条件に「論破すること」が入ってしまっているようなのでその部分がどうなのか非常に気になります。 反論があればそれを論破したいわけです。 それで、海さんは反論あります?(もちろん、”ない”と言われてもそれは確かめようがないので議論が正直めんどくさい、などの場合は”ない”でどうぞ。) ある場合は出していただきたいのですが。(もちろんこれも私の希望ですので”嫌だ”と言われればそれまでです) Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.23 ) 日時: 2006/06/11 22:16 名前: 海 返答は差し控えます。 中途半端では在るが、議論は終了と言うことにしましょう。 Re: 神学論争に当たっての基本的な原則 ( No.24 ) 日時: 2006/06/11 23:07 名前: αΩ(Tranquillity)◆toY.cJFRz.s 了解しました。 海さん、議論に付き合っていただきありがとうございました。 しかし、誰かが反論思いついたときのために一応書き込み停止(スレッド停止)はしないでおきます。 (掲示板削除するまでの間ですが)誰でも、反論などありましたら書き込んでみてください。